三十路。前厄の年の出来事。
7月か8月頃。
ちょうど二重あごになるような部分がなんだか気になる。最近太ってきた(汗)せい?
夏あたりから首の中央あごの下あたりの喉に、ぐりぐりと腫れるしこりがあった。
9月に入ってもしこりは消えず。
特に触っても痛みがある訳でもなく固いしこり。
つまんでみると2〜3センチくらいはあるような気がする。
9月21日
アレルギー性鼻炎からくる副鼻腔炎で鼻が詰まるので昨年も行った事のある耳鼻咽喉科へ。
その際喉のしこりについても見てもらう。
触診してくれて、炎症性のものだと思うが気になるなら大きな病院へ紹介状を書くと言われるが
きっと大丈夫だろうとそのまま帰宅。
9月28日
旅行に行くため生理周期をずらすピルをもらいに婦人科へ。
そこの先生に甲状腺が腫れているような気がするよ、と指摘されたので
喉のしこりを見てもらう。
詳しく検査したほうがいいと勧められる。
10月2日
午前中、耳鼻咽喉科へ行って紹介状を書いてもらう。
この近辺で一番大きくて最近病棟を建てなおしたばかりの設備のそろった大病院へ行く事に。
午後初診受付していたのですぐ紹介状を持参し診察。
耳鼻咽喉科で担当医は若くてわりと男前なY先生。
触診した感じだと袋状に膿がたまる病気ではないかとの事。
詳しく検査するために次回のCTの予約をする。
10月17日
CT検査。
朝食は抜き。水分はとってOK。
頸部だけなので普通の服のまま検査台へ。
輪っかが体を前後に通過するマシーン。
造影剤を血管へ注射すると一気に血流に乗って体へ流れるのを感じる。
そしてぶわっと体が熱くなるのを感じ、一瞬猛烈な吐き気に襲われる。
この症状は通常感じるものらしい。
一分もするかしないかでこの症状はすぐに治まる。不思議。
でも造影剤の副作用は色々あるらしく、数十万人に一人は死亡例や治療が必要な状態になる危険性があり、
百人に3人くらいは蕁麻疹や吐き気、頭痛などの副作用がでるとのこと。
私はアレルギー体質なので蕁麻疹がでるかもしれないから沢山水分をとって尿と一緒に
どんどん造影剤を体外へ排出するようにと勧められる。
CTの検査結果を見ると当初予想された膿がたまる病気ではなくて
リンパ腺の腫瘍だと判明。
腫瘍が良性か悪性か判断する為に腫瘍自体に注射針をさして細胞を吸い出す検査をする。
麻酔とか何もなしに、いきなりぶすっと喉に針をさしてしゅこしゅこ何十回も吸い出す。
結果を一週間後に聞く事に。
例えばどんな病気が疑われるんですか?と先生に質問したら
その時初めて「悪性リンパ腫」という言葉を聞かされる。
「悪性リンパ腫」つまりリンパ腺の癌。
年齢的に癌の可能性は低いと思うが、はっきりさせるための検査だと説明される。
しかしこの針生検では判断がつきにくいので、もし判明できなければ手術になるとの事。
帰宅して夕方から猛烈に頭が割れそうな頭痛が起こる。
夜間の連絡先のメモを貰っていたので電話して症状を説明。
市販の鎮痛剤を飲んでも大丈夫だと確認したので薬を飲んでしばらくしたら改善された。
10月18日
CT検査の翌朝。
起きてみたらお腹まわりに蕁麻疹。
痒みや痛みは伴わないのでまだましだった。でも赤い斑点が気持ち悪い。
ちょうど皮膚科にアレルギーの薬をもらいに行こうと思っていたので先生にみてもらう。
造影剤の蕁麻疹は一過性だからやっぱり水分をとって排出するのを勧められる。
皮膚科の主治医は女医さんで感じのいい先生なので、しこりについても相談にのってもらう。
触診の感じだと悪性っぽくはないように思うから大丈夫よ!と励まされる。
悪性だともっと皮膚が引きつれる感じがしたり、皮膚の下で動かない(癒着する)感じがするけど、私の場合腫瘍は中で動く感じがあるとのこと。
それで少しほっとする。
10月24日
針生検の結果を聞く。
きっと結果はよくてもう病院へ来る事はないだろうと楽観的な気分でいたら
思いがけず「あんまりいい結果でない」と言われる。
悪性が疑われるので手術して腫瘍自体を摘出して検査したほうが良いとの事。
翌々日から一週間インドネシアへ旅行へ行く事が決まっていたので
帰って来て落ち着いてから手術をすることにし、予約を取る。
悪性リンパ腫は癌なので耳鼻咽喉科だけでなく血液内科でも検査をするので
血液内科で問診を受ける。
先生は「いつからですか?急に痩せたとか、熱があるとかそういった症状はないですか?」と聞いてくる。
しかしそう言った症状は全くない。
新米が美味しくて御飯おかわりする程食欲はあるし、太りはしたが全然痩せないし。
熱もないし、アレルギーを除いてまったく健康体なのです。
先生は他のリンパ腺の部位(脇の下や足の付け根など)を触診。
他にリンパ節が腫れている部分はないとの事。
しかし一カ所に悪性の腫瘍がとどまっているケースもある事を説明される。
血液検査(注射器に何本も取られる)尿検査、心電図、胸部レントゲンをして帰宅。
10月26日〜11月1日
インドネシアへ旅行
「生きているとは何か」を考えながらの旅。
11月5日
手術日。
喉の部分の局部麻酔なので1時間くらいで終わるとの事。なので日帰り手術。
母が一緒に来てくれる。
手術の前にHIVの血液検査
(実費。病院側が院内感染のリスクを下げるため手術や処置をうける患者さんへお願いしているらしい。もちろん陰性でした)
手術前の説明の際、実際に腫瘍を見て良性か悪性かの判断がつくものなのか聞いてみる。
何となくでしかわからないし、外れる事が多いとの事。
手術着に着替え、紙の帽子をかぶり看護士さんに案内されて歩いて手術室へ。
私は手術は生まれて初めてなので緊張する。
ずらっと手術室が並ぶ部屋を通り一室へ。
TVで見るような青と緑の感じの世界で色々な機材が置いてある。
手術台を見て心臓はバクバクする。こわい。
自分で手術台に乗り、看護士さんが心電図やら血圧計やら色々体につけていく。
大丈夫だと思ってつけたままにしていた結婚指輪も外さなければだめだったようで
看護士さんが預かってくれた。でもちょっとお守りとしてしていたかった。
執刀医の先生は主治医のY先生と、助手としてか若くてかわいい女の先生の二人。
看護士さんも一人だしやはり手術としては簡単な部類らしい。
顔に覆いを被されて、喉に局部麻酔。これが一番痛い。
手術中しゃべることは可能なので痛かったら言って下さいと言われる。
手術は見えはしないが、今何をやっているのか何となくわかり物凄く恐ろしい。
自分の心拍数のモニターのピッピッという音が心臓のドキドキにあわせて早くなるのが聞こえる。
顔のすぐ下なので、電メスで肉を焼き切るタンパク質が焦げる異様な匂いがして怖い。
ドラマなんかで見た事のある手術部位を広げる機械みたいなので
今傷口をひっぱって広げてるな〜とかわかる。
右側の部位がちょっと痛かったので「痛いです」と申告して麻酔を追加してもらう。
手術中先生達は手術と関係ない話とかしている。
Y先生が携帯電話をなくしたという話を女の先生にしている。
こっちはこんなに怖い思いをしているのに・・・最近のお医者さんってそんな感じみたいですね。
手術中、先生は所々手術の様子を説明はしてくれる。
腫瘍は一つではなくて複数あり、奥の方にある腫瘍は今は出血を起こす危険性があるし
今回は検査の為の手術なので全て摘出はしないとのこと。
そして先生が見た感じ「かたさとかやっぱり悪性っぽい感じがするなぁ」とのこと。
その一言を聞いてまた心拍のモニター音が早くなる。
そんな...聞いたとは言え手術中に言わなくても。。。
結局1.5センチくらいの大きな腫瘍と小指の第一関節くらいの腫瘍二個を摘出。
小さな腫瘍をみせてもらったら脂肪とか血の塊とかいう感じのものではなく
もっとコリッとした感じの白っぽいスジっぽい塊だった。
この腫瘍は耳鼻咽喉科と血液内科の両方で病理検査(顕微鏡でみたり色々な検査をする)らしい。
手術時間は準備を除いて45分でした。
また自分で歩いて手術室から戻ります。
看護士さんにふらふらしない?大丈夫?と声をかけられながら。
更衣室に母が来たら何だか緊張がとけて自分でも思いがけず
「こわかったよ〜」と泣いてしまった。
手術跡は3センチ切って8針縫ってあった。
透明の防水フィルムが貼ってあるので傷口は透けて見える。
薬局で化膿止めと痛み止めの飲み薬、フィルムがはがれてしまった時用の消毒薬をもらって
母とタクシーにのって帰る。
夫も早めに帰宅してくれて、私はやはり精神的にも疲れたので横になる。
でも食事も入浴もその日から普通にして構わないらしい。
そうは言っても実際食事するとあごの下が縫われているのでひっぱられて咀嚼するのが辛い。
寝るときも仰向けは痛いので横向きで楽な体勢をとるようにしていた。
喋る事は問題なかった。
人生で初めての手術はやっぱりつらかった。
11月14日
抜糸と検査結果。
夫も仕事を休んで一緒に病院へ。母も来てくれる。
手術から結果までの約10日長かった。
早く結果を聞きたいような、聞きたくないような。
お守りに大好きだった祖母の写真と、去年死んでしまった愛犬シェリーの形見を持っていく。
待合室で待つ時間が長い。夫も落ち着かない様子。
先に耳鼻咽喉科で抜糸をしてもらう事になっていた。
呼ばれて、夫も母も一緒に診察室へ入る。
Y先生が
「悪性リンパ腫、癌の可能性はありませんでした」
とまず伝えてくれた。
はぁ〜っと私は気が抜ける思い。涙は出なかった。
振り返ると夫と母が泣いていた。
それをみて私も少し泣けてきた。
耳鼻咽喉科での検査では悪性の可能性はなかったけれど
血液内科で免疫とかもっと詳しい検査をしているからそちらでまた説明を受けるように言われ
耳鼻咽喉科の診察はもう全て終わり。
血液内科の診察を待つ間、また母が泣き始めた
いつも逆境に弱い母が今回は気丈に振る舞っていたけどどんなに心配してくれていたかは痛い程わかった。
母の手を握ったら強く強く握り返してきた。
血液内科での病理検査の結果でも異常は何もなかった。
悪性リンパ腫の可能性は0%だった。
でも結局、どうしてリンパ節に腫瘍ができたのかわからない。
ウイルスで炎症性のものなら血液検査でも判明がつくらしいし、
この病気ならこの症状、とか考えられるものはあるけれど当てはまるものもなし、
これ以上調べても時間とお金の無駄だそう。
なので経過観察という事で薬も何も飲まなくてもいいし、病名もつけようがないらしい。
結果だけ考えれば良性なら手術する必要もなかったけど
まぁ、癌ではなかったんだから、それだけで充分だ。
今回の事で生まれて初めて自分の「生」と「死」を考えた。
二年前父が心筋梗塞で危篤になってその時も考えたけど
自分の身に起こってみるとまた違った感情だった。
私は夫の事が猛烈に好きで、毎日のように「私が先に死にたい」(夫を先に失うのは耐えられない)
と言っていたから罰があたったのかとも思ったりもした。
でも今回、自分自身の身に起きて私は逆に普通でいられた。
もし夫や家族、友達が同じ状況になったら絶対に「どうしよう。どうしよう」と
不安で眠れなかったと思う。
自分自身に起こったからまだ耐えられた。
そして小さな事、些細な事、日常の普通の事がどんなにか幸せな事なのかを実感した。
あれをやっておけばよかった、って事は全く考えなくて
日常の例えば、スーパーでお使いをするとかそういった事をしながら
「もし悪性だったらこういう普通の事ができなくなるんだ」と考えたらすごく悲しかった。
だからこそ、それが出来ることが「幸せ」だと感じる。
私は一人で生きているわけではないという事を思い知らされる。
「ママの子は絶対そんな病気のはずなんかない!大丈夫よ!」って励ましてくれて
手術後毎日電車で食事を作りに家まで来てくれた本当は気が弱くてこういう事に耐えるのが辛いお母さん。
気分転換にリキと一緒に茅ヶ崎の海までドライブに連れてってくれたお父さん。
大きなお腹で静岡から祈っててくれたお姉ちゃん。
手術の日、一緒に立ち会おうかって言って心配してくれたお義母さん。
心配して夫に連絡をしてくれていたお義姉ちゃん、お義父さん。
手術する事が決まって落ち込んでメールしたら、仕事帰りに心配して家まで来てくれたK。
手術の日の立ち会いや、御飯作りにいってあげようか?って心配してくれたleinaちゃん。
調子の悪い私に色々気を使ってくれて心配してくれたかいこさん。
心配事を吹き飛ばそうと冗談言って笑わしてくれる職場のみんな。
皆、本当にありがとう。皆に支えられて生きています。
どんなにかみんなに愛されているか実感しました。
あの間は本当に不安で苦しかったけどでもあの時の感情を、気分を何故か忘れたくない。
普通の事が「幸せ」それを忘れずに生きていたい。
そして実際すごく苦しかったはずの夫
いつもどんなときもそばにいてくれてありがとう
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